今日はkumu Uluwehi Cazimero のワークショップに参加しました。
久しぶりのHula Noho。ちょっとしっかり体を動かしたい!と思って参加したので、ステップ踏めないなあ〜と思いながら。。。。でも、最後の振り付けが終わり、通しで踊り終わった瞬間に涙がハラハラと流れてきました。
何かよほど特別の内容だったのか?と言われると、ごくごく普通の内容だったとしか言えないのですが。。。(もちろん偉大なクムにオンラインとはいえ、直接教えていただけてありがたいことには間違いありません)
クムは途中で何度も自分は老人だからとおっしゃり、振り付けを確認されたり、訂正されたりなさいました。とてもチャーミングで素敵なクムです。
周りにいたアラカイさんはそんな時、もちろん何も表現したり、ましてや口出しなどしません。クムが後から「ごめん間違えた」と訂正をした部分もそのまま踊っていました。もちろんそれは至極当然のこと。クムが白と言えば黒も白。ハラウではクムがその日その場で伝えたものが正解なのですから、生徒たちは黙ってそれに従い、ありがたく練習をするのが当たり前、今日それを改めて目の当たりにし、美しいなと感じました。
それには以前こんな経験があるからです。
ある別のクムフラの(本当に有名な方)ワークショップに参加した時のこと。クムがいつも生徒たちに伝えているであろう振り付けと多分違う振りを参加者に伝えた時(当たり前のようにその振り付けを踊るアラカイさんももちろんいたのですが)一部のアラカイがざわめき、変な表情をしました。初めてその曲を教わっていた私にもそれがどういうことか明らかにわかる行動です。しかも、こうですよ!と言わんばかりに別の動きをしてクムにアピールしました。クムは「あーそうか」と言って訂正されましたが、冗談交じりに「誰がボスだ?私だ!」と笑ってその場を寛大さでやり過ごされました。特にワークショップという外部の参加者がいる前でのアラカイの取るべき言動ではないはず。実力と多くの実績のある素晴らしいハラウだけにとても意外でした。
ちょっと残念に感じたのですが、これも時代の流れ?仕方ないことなのかなあと思っていたんです。
今回メレの内容にも共感し、感情も高ぶったと思います。でも胸が熱くなり涙が溢れたのは、そういう美しい場でフラを教えてもらえたからに違いありません。
きっとフラだけではなく、どの国のどんな伝統文化でも師に対しは丁重に接するでしょう。そこにはただ身分の上下ではなく、シンプルに年上の人に対して敬意を表し優しい気持ちで接するという人として当たり前の心が基本にあるからだと思うのです。その年長者である家族の長を家族である生徒たちが、盛り立て、サポートする事でまた愛に満ち溢れた学びを受け取ることができる場が整っていくのだと思います。
フラで言えば、同じハラウに属している者はオハナ(家族)と考え、家長であるクムをハウマナ(生徒)が尊敬するのは言うまでもありません。クプナ(年長者)には敬意をはらい、労わる。ケイキ(子供達)はみんなで育てていく。ハワイが特別なのではありません。人類が皆そういう歴史を辿ってきているはずなのです。もっと言えばサバンナでサバイバルしている動物の群れも同じかもしれません。
この世に生きている物として、このベーシックをもう一度心に蘇らせること。。。大切だと思いませんか?
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